私にとっての悠里淮斗と白崎護のチャーチ卒業における意味
初めに。このブログは舞台「メサイア」の暁乃刻より前のネタバレを含みます。お気をつけください。
さて。
ブログを作り直して1つ目の記事はもっと楽しい観劇記事を書く気満々だったんですけど、とうとう先日「メサイア」の新章が幕を開けたという事で。
公式さんによると、とうとう白崎護の卒業ミッションのお話になるようですね。
まだ見てもない上に、多分時期的な関係で生で観劇する事は出来ないであろうやつがこんなブログをあげるの申し訳ないんですけど、やっぱりどうしても吐露したくて。いやもうすみません許してください。
ていうか、制作元がCLIEさんじゃなくなって「刻」になったんですよね。新章って言わずに新刻っていうんですかね。
とりあえず「章」だった頃に遡らせてもらうと、私のメサイアとの出会いになります。
過去公演のDVDを観ながら遡れればもっと正確に詳しく記すことができると思うんですけど、今ちょっと人の手に渡ってるので、自分の記憶を頼りにこのブログを書く事になります。「ちょっとここ違うんでないの?」みたいなとこが現れても大目にみてくださると有難いです。
出会い
そもそも私がメサイアという作品を知ったのはここ数年の話で、それこそ悠里淮斗と白崎護が登場した「紫微ノ章」でした。
その前は「メサイア」という名前だけは聞いたことがあるな、知っている俳優さんがでているなあぐらいの認識。
「メサイア」を知らない方の為にものっすごい簡単に説明させてもらうと、
冷戦状態になった近未来の世界が舞台。
警察が軍事化し始め情報戦争になって行く中で、秘密裏にスパイ組織として殺人を許された秘密国家機関、特別公安局外事第五係、通称"サクラ"という機関が存在する。
メサイアの基本的舞台はその"サクラ"の養成機関である"チャーチ"内でのお話。
チャーチで学ぶサクラ達には過去の経歴も戸籍も存在が全て消されます。任務の中で死んでしまっても彼らの存在はその時点で何も残りません。つまりここにいるサクラ達はみんな表の世界で生きていけなくなった【ワケあり】な奴らばかりなのです。
そんなチャーチでは絶対規則というものが存在します。
サクラは、チャーチについて沈黙を守らなくてはならない。
サクラは、チャーチを出ればなどと接触してはならない。
サクラは、任務を失敗したサクラを救助してはならない。
サクラは、友人や恋人になってはならない。
ただ1人"メサイア"を除いて。
これが、この作品「メサイア」の決まり文句でもあります。
"メサイア"という存在は、チャーチ内で組まれるバディのようなもので彼らにとって唯一無二の存在です。お互いを救い支えることが出来るのは"メサイア(救い人)"だけだという強い繋がりを元にお話が進んで行くのがこのシリーズの醍醐味でもあります。
キャラクターやもっと詳しい設定についてはこちらでまとめられているので気になる方は是非
→https://togetter.com/li/786626
さて、話を戻します。
初めてこの設定を知った時、なんて私好みの素敵すぎる設定なんだと思いました。昔からこういうアクションファンタジーが大好きなので詳しい設定知った瞬間もう秒で行くこときめました。
今まで出てたキャストさんがいないのは後から知りましたが、別作品で追いかけていたキャストさんがいたので後悔はありませんでしたし、むしろ全く違う役幅が観れると思って軽い気持ちでウキウキでした。
観劇後、結論から言うと後悔しました。
辛すぎる!なんだあれは!!軽い気持ちで何も持たずに行ったら涙は止まらないわ嗚咽抑えるの大変だわで終演後なかなか席を立てませんでした。(隣に座ってた方が出れずに戸惑ってたのは今思い出しても申し訳ないです)
上記で記したキャストさんが廣瀬大介さんなわけなんですけどね。いや、違う役幅とかそれどころではなかった。
だって私その前の彼って某ドSな武士とか、クスクス笑う双子とか、いきなり社交ダンス踊り出すハイテンションな先生とかそんなのしか観たことなかったんです。
なんていうかもう、あんな暗くて重すぎる役だなんて聞いてなかったし背負ってる過去が辛すぎる。
「紫微ノ章」は廣瀬大介さん演じる悠里淮斗と、赤澤燈さん演じる白崎護の養護施設で育った幼馴染2人が、一般人からサクラとなりチャーチに入るまでのお話でした。
ここで中心となってくるのは淮斗の弟である春斗です。
引き篭もりの淮斗を養う護。
護はこの時、表立場の警察である第4係に勤務するいわば公務員です。
そんな彼がいくら幼馴染といえど成人仕切っている相手にそこまで面倒見るという図が不思議で仕方なかったんですけど、終わりに近づくにつれてもう納得しか……。
「淮斗、そこに春斗はいるか」
護のこの台詞辺りからもう心臓が嫌な音をたてまくる。
そこから懐かしそうに微笑みながら話す護に動揺する春斗、何が何だかわからない淮斗。
その話の中で明らかになる、春斗はすでにこの世にはいないと言う事実。
春斗が亡くなった海での事故の記憶を淮斗はショックから忘却していつの間にか春斗の幻覚を作り出してたんです。しかも護がその海の話覚えてるかって聞いた時淮斗は「忘れるわけないじゃん、あんな楽しかった思い出」って言うんですよ。
その時点でもしんどい案件なのに、それを今まで淮斗が幻覚を見ていることを知っていて黙って来たことを責められた時に護が「お前を傷つけたくなかったから、だと思ってたんだけど違ったみたいだ。その方が俺も楽だったんだよ!」って言うんです。
「俺が海に行くなんていったから春斗は死んでしまった!俺のせいで春斗は死んだ!!……俺もその事実と向き合うのがしんどかったんだ」って訴えるんです。
事実から目を背けて、逃げを自覚しない為に作り出してしまった幻覚と、その幼馴染の弱さに依存した2人が現実に向き合った瞬間でした。ここから本当の2人の二人三脚が始まったんだと思います。
淮斗は国家秘密事項をハッキングしてしまい、護は4係での事件に巻き込まれ追われる身になってしまったがうえにサクラになるしか今後の生きる道がなくなってしまうんですが、そこまでのドラマが濃厚すぎる。上記の出来事なんてほんのひと触りでしかありません。
チャーチに入り、サクラ候補生としてメサイアスーツに身を包み、最後に「これからもよろしくな」と言って互いに手を取り合ったところでこの章は閉幕します。
閉幕と同時に私は、このシリーズを追うしかない定めになってしまったんです。
いやはやこれが1番の後悔ですよね。迂闊に観てしまったが故に自分をさらにつらい世界に追いやってしまったんですから。もうまじかよって感じです。そりゃ語彙力もなくなります。
ちなみに、この紫微ノ章手元のチケットが1公演から何故か3公演程増えました。いやはやびっくり。
衝撃の続編
次の「影青ノ章」はなんとドラマ。
当時の私は高校生。今は上京してフラフラしてますが、その頃は関西の田舎の方に住んでたんです私。テレビ局はtvk。
見れませんでした。
そんなまさか。ハマった瞬間この仕打ち。そんな馬鹿な。携帯代も母に払ってもらってたんでむやみに課金して見ることもできず。
ええ、待ちました。DVD販売を。長かったです。買った瞬間レンタル始まって公式恨んだ日もありましたけど。懐かしいですね。DVD発売イベントいい席で観れたので許しました。
紫微ノ章でのメサイアとなった2人以外にも前作ではお休みしていた先輩サクラ候補生である海棠鋭利(松田凌さん)と御津見珀(小野健斗さん)が帰って来て、当たり前のようにそこにいる新人候補生、染谷俊之さん演じる間宮星廉と井澤勇貴さん演じる有賀涼。
いやいやお前いつからいたんだ。突然すぎてついていけなかったわ。新キャラの第一印象はほわほわした気弱さんと対照的過ぎる堅すぎメン。
ドラマのメインは新人候補生4人。
一発目から仮メサイアが発表されたんですけど、淮斗と間宮、護と有賀。
思わずリモコン握りながら変な声出ました。
思ってた展開と違う!私は2人で成長する姿を見たかったのに!嘘でしょう?!
「僕と護は幼馴染なんです。だからそっちの方がやりやすいっていうか」
淮斗と気持ちを分かち合ってました。あの頃の淮斗と私は心で繋がったメサイアでした。絶対に。
でももちろんそんなことが聞き入れられるわけもなく、始動してしまうレッスンにミッション。
圧倒的実力を持つ先輩に食らいつこうとする淮斗にどこか引いている間宮。それに加え護と組めなかった事にもイライラして無駄にメサイアである間宮につっかかる。
「僕を殺す気か?!?!」は名台詞でしたね。
前章での成長はどこに行ったのかと……思いました。
だって護めちゃくちゃ大人なんです。すごい大人。有賀とも凄い上手くやってる。時たま窘めに回る護。
推しキャラなのでとても擁護したいんですけど、護の成長速度が速すぎて淮斗の幼稚さに擁護できない。まだ弟にしがみついてるし……誰かもう一度淮斗を救って下さい。
と、そう思ってた時期が私にもありました!
やってくれました悠里淮斗!ありがとう!!
確かに最初はお子様でした。そんな彼でも流石に全6話も重ねれば成長もしますよ……!
春斗にしがみついてたこともあったかもしれません。
が!それもなんと逆手にとって敵を追い詰めました。間宮の気持ちも汲み取って背中を預けられる相手になりました。
最後とかもう彼らの方が年上なはずが謎に母親みたいな気持ちになって見てました。
あんなに素敵なメサイアになったんです。
なのに。なのにですよ。
まさか最後で正式メサイアが変わるなんて。
誰が想像しました?
いや、確かに私も最初に言ってました。でも、凄い間宮といい関係だったじゃないですか!そのまま行くと思うじゃないですか。
凄いよ公式のどんでん返し。
この頃には過去作品をあらかた見てたので薄々気づいてたんですけど、「メサイア」って作品は毎作品最後に衝撃の結末を持ってくるのが味なんですね。そんなところも好きですけど!
何はともあれ。次の章からは私が最初に追うと決めた淮斗と護のメサイアを見守る覚悟も改めて持ち直しました。
「影青ノ章」は2人が離れてどれだけ個人の力を伸ばすことができたかを一緒になって感じられる作品だったように思います。
先輩の卒業
やってきた「翡翠ノ章」
メインは鋭利と珀のチャーチ卒業のお話。
ここではあくまで淮斗と護について書くと決めているので先輩メサイアに対する想いはグッと堪えますが、とりあえず前回の教訓を活かしハンカチを持ってきた事に間違いはありませんでした。
あと、先程『最後に衝撃の結末』みたいな事述べたんですけど翡翠は始まってすぐにそれを見せられた感があって息飲みました。観た方は分かると思うんですけど、いや、あれはないですよね。言葉通り会場が序盤からお葬式でした凄いよ公式。
もちろん最後にむけて全然『衝撃の結末』待ってます。安心して下さい。状況的には全く安心はできないんですけど。
座長が初演から支えてきた2人なだけあって、やっぱりガンアクションに安定感がありかっこいい。し、ずっと背負ってきた過去の柵が深い深い。
この章は正直にいうと新人4人は本当にサポートメンバーという感じで出番も台詞も圧倒的に少なかったです。先輩2人と初演から支えてきた三栖さん(中村龍介さん)のターンという感じです。
しかし、メサイアを結成し直して最初の公演。淮斗と護がも学ぶことが多かった公演だったように思います。
模擬練習みたいなもので、有賀と間宮とは対照的に互いの動きが読めたいいチームワークを披露する淮斗と護なんですが、鋭利と珀のチームワークには到底及ばずどうしたらそんなに良くなるのかそれを問いたり。その答えを聞いて僕たちも頑張ろうってなる2人が素直で可愛い。壁を一つ乗り越えた幼馴染って尊い。
間を話すとどうしても鋭利と珀について話したくなるので、これだけ。
最後無事にチャーチを卒業した2人がサクラの衣装に身を包んで出てくるんです。
それを観たとき、もうなんていうか、お疲れ様でしたという気持ちと、そうか私もいつか淮斗と護が2人でサクラスーツを着て笑いながら卒業していく姿を見るんだなっていう熱い気持ちでいっぱいでした。
その時が来たらもしかしたら、淮斗は卒業して護と離れるという不安と葛藤するのかもしれないし、それを乗り越えさせる為の卒業ミッションになるかもしれないと。そう思ったのは忘れられません。
先輩サクラから託された想いと共に、更に絆を確固たるものにした。そんな「翡翠ノ章」でした。
トラウマ事件
舞台版って、全てが全てじゃないんですけど大抵がチャーチに居る候補生達の卒業がメインのお話でした。
そして迎えた「鋼ノ章」の発表。
メサイアになってまだそんなに回数は重ねてないけれど、来るならやっぱり淮斗と護なのかなって思ってたんです。
そんな時次回作のお知らせが。
確かメサイアのイベント中だったように思います。早くないか?と思ったらなんと映画だそうで。成る程。
そう思ったのもつかの間、同時にビジュアル公開されていました。
あれ?
間宮が??
いない???
他の3人がいるのに間宮がいない?ていうか間宮がいるであろう場所にどうしてお前がいるんだ杉江大志!(ちょうどその頃彼が出演している舞台に通っていました)
もう嫌な予感しかしませんよね。どういう意味なの。間宮飛び級しちゃったの?って感じです。
とりあえず察したくない私はひたすら間宮だけが卒業する方法を考えました。
「人を殺す」という任務に躊躇をおぼえるのはサクラにとっては自分だけではなくメサイアの命も脅かします。間宮はそれでもずっと割り切れなかったんです。それを乗り越えた時卒業につながる何かが?
幕を開けてみればもう感情が置いていかれる思いでした。
ここから先少し有賀と間宮の話になりますがお許しください。
新キャラがたくさん出て来た上に新しい組織まで出て来て頭がてんやわんやな中でも途中有賀が裏切り者として捕まったあたりで、流石の私もおや…?っとおもいました。これはもしや、と。
でもその後間宮が「俺は有賀を信じるよ」ってなるんです。
これは!無事に乗り越えていくやつだ!!と心を持ち直していた所にですよ。
とんだ裏切り。
舞台上で生きているキャラ達をも客席で観ている私達も、私が自分の中で描いていたストーリーですらも裏切る。ほんと、言葉通りの裏切り。
うまく歩み寄れていなかった有賀と間宮。たくさん悩んでやっと、しかもあの有賀から間宮を知ろうとした所でその仕打ち。
有賀も、多分薄々気づいてたんじゃないかなと思うんです。気付いた上で信じたくなくて。
あの時の徐々に状況を理解していく過程での絶望的な有賀の表情。井澤さんは本当にお芝居が繊細ですね。
まだこれ物語中盤なんですよ。しんどい。
少し話は戻りますが、この有賀が裏切り者疑惑で捕まったのは監視カメラの映像。
淮斗は護が裏切り行為によって自身の身代わりに傷付いた事で、目の前が見えず冷静な判断が出来なくなり、監視カメラに細工されている事に気付けず告発します。
でもそれが悲劇の真実につながっていくなんて誰も思わないじゃないですか。気付かないよ!そんなの!!
ここは過去作でそんなに絡んでなかった淮斗と有賀が1番絡んだシーンでもあります。
捕まってる有賀に護が無事だと伝えた直後、自分が冷静じゃなかったと呟いた淮斗。監視カメラに細工がされていた事に気付きスパイではないのかと問います。「違う」ときっぱり答える有賀。
「僕と護。僕達ほどメサイアにぴったりな2人はいないと思ってた。でも違った!僕護のことになると!!」
「メサイアを信じるのは当たり前のことだ」
有賀がこれを伝える事に意味があるんですよね。有賀は自分たちの今のメサイアとしての状況も、淮斗と護の立ち位置と在り方もすべてわかってたんじゃないかなって思います。
君からそんな言葉が聞けると思わなかったよとこぼした後の淮斗の思わず飛び出してしまう本音が未だに忘れられないんです。
「サクラになったら離れなきゃならない。離れていても繋がってる。それがメサイアだ。そんな事わかってるでもそんなのは詭弁だ!!」
胸にすっと入ってきた言葉でした。
今までだって卒業公演のたびに各々のメサイアに不安はありましたし、少なからずそういう描写もあったと思います。でも、"俺たちは離れてもメサイアだ"それを合言葉にチャーチを卒業していきました。それがわかった上で今までのそれらを「詭弁」という。淮斗と護にしか言葉にすることができない大切な事実。
チャーチで初めて知り合い、時にぶつかり合って互いを理解し絆を深めていくのが通常のメサイアでしたが、淮斗と護は入る前からお互いがお互いの事を誰よりも分かっていて辛い事も楽しい事も全てを分かち合って生きてきたからこそ言えるその先の言葉。
淮斗は護と卒業のその先のビジョンを見るのが怖くて仕方がないんです。
「その先の景色を共に見たいと願えばいい」
本音で話す淮斗にそう返した有賀の答えが全てで、何よりも有賀が間宮に対して出したものだと思うと、もう自然と涙が出てきました。それを間宮ににうまく言葉で伝えられない有賀が切ない。
この答えに対して、自分が望む景色と護が望む景色を考える淮斗が、今回の鋼ノ章で1番の成長を見せてくれたなと思います。
護ものちに戦いの最中、俺たちあとどれぐらい背中を合わせて戦ってられるのかと淮斗に投げかけます。
護だって表には出さないだけでやはり何処かでそんな日が来る事に不安を感じている。
それに「ずっとだよ」と答えた淮斗に笑って「そうだな」と返す護。本当にどこまで彼らは互いの気持ちを汲み取りあえるんだ。
自分なりの答えを出した淮斗。それをなんて事もないように受け止める護。
紫微ノ章から階段を駆け足で登っていく彼らの未来が幸せなものでありますようにと、願うしかできない事がもどかしかったです。
それでも鋼ノ章はやはりメインは有賀と間宮が向き合うお話。
種明かししていくように有賀が裏切り者として演じられてたシーンが間宮で再現し直されるあの回想。重い。耐えられない。私の心が。
間宮が世界の全てに絶望した日、有賀が暗殺者から人間になった日。
こんなに残酷で美しいストーリーにもう涙するしかなくて。
こんなこと書いてる今も思い出して1人泣くのを耐えてるわけなんですけど。
最後のG線上のアリアは有賀と間宮が本当の意味で歩み寄る事ができた、とても悲しくも温かな旋律に感じました。
この後のヴァイオリンの末路、アリアの譜面など、いろんな事をフォロワさんと考察したりして1つの確信を得たりしたのですが、所詮私達の中のお話なのでここに書き連ねるのはやめておきます。
正直。この鋼ノ章は幾度もGロッソに通い、当日券も並んだ公演ではあるんですけど、やはり迎える結末が精神的に辛くて未だにDVDを開封できていなかったりします。つまりあの期間劇場でみた記憶を頼りに書き綴ってしまっているので、台詞回しなど多々違うところがあるかもしれません。大目に見ていただければ幸いです。
淮斗と護にとって未来を明確に見つめ、大きな別れと向き合う事となった儚くも確固たる自信を魅せられた素敵な公演でした。
深紅を乗り越え暁へ
映画「深紅ノ章」。
実質、"章"としては最後のお話。
舞台と映像では脚本家さんが違うので、やはり少し話が噛み合わないところもありますが、なんとかうまく折り合いをつけてみる事ができました。
間宮の後として入ってきた新人メサイアは、鋼でも爪痕を残した杉江大志さん演じる加々美いつき。
鋼をつい長々と書いてしまったので、ここはなるべく短めに。
加々美の突然の起用に動揺を隠せない3人。
しかしメサイアである有賀は、いつきを知ろうとし、咎めるところはとがめつつも信用しているという事を示してくれる。もうあの時のような思いはしたく無いのだと、有賀の行動全てが表していました。
ここで驚く事にことごとくいつきと衝突していたのは護。
逆にそれを宥めていたのは淮斗という不思議な構図にちょっと見ているこっちの方が動揺を隠せませんでしたが、なんだかんだで淮斗を手当てしたりしているのをみて護のお兄ちゃん気質は変わらないようで安心しました。
このお話のスポットは新メサイアと第四係だったように思います。
そして護と高野(宮崎秋人さん)が良い意味で決別を果たす為にあったお話でもあったかなと。
最後の屋上で撤退する際に高野に呼び止められる護は、それは別人では無いかと言い放ちます。
そんな訳ない事だっていくら高野だって分かってるし、護だってこんな嘘が通用するとは思ってないでしょう。それでもそう言わざる得ない。
言わざる得ない事を察しつつ、護に伝えたい事を。また会えると信じていると本人に伝える高野に、もし彼に会う事があれば伝えておきますと返す護。
紫微からちゃんと別れを告げる事ができていなかった2人の後悔がひとつ和らいだ、そんなシーンでした。
でも1番伝えたいのは、この時の淮斗の表情が柔らかいのなんのって事です。
全て分かってたよ、よかったね。まるでそう言っているかのような微笑。本当に淮斗は大人になりました。素敵。
感情表現がストレートないつきの導入により、また新たな色のメサイアが出来上がった映画でした。
試写会でのイベントで、『次は何の章になりますかね』っていう問いかけに悩んだ井澤さんが結果として『茶羽ノ章』って答えた時は本当の意味で頭を抱えました。何言ってんだこの俳優は。
これはイベント後にフォロワさんとお話ししてたんですけど、茶羽はともかく、次こそは確実に誰1人欠ける事なく卒業して欲しいし、淮斗と護の卒業公演は「純白ノ章」がいいななんてお話ししてました。黒く渦巻いてた当初の2人がまっさらな気持ちで卒業していく。そんな未来を思い浮かべてました。
まさかこうなるとは。
最初のキャスト発表時に「廣瀬大介」の名前がない事に絶望しました。
新キャストが入って、井澤さんに杉江さん。そしてなにより赤澤燈の名前があるのにどうして廣瀬大介がいないのか。
鋼の再来が来たのか、はたまた深紅で負った怪我が長引いているのか。もう数限りある最悪の状況からその考えを否定する言葉を幾つ並べたかわかりません。
気付いた時にはチケット一般販売でした。
私の私情から時期的にもいくのが難しそうではあるし今回は見送ってしまおうと決めたんです。後からお話を聞いて、円盤が出たら購入しようと。
そしたらなんですか。失踪って。
あんなに成長したのに何を失踪することがあるの?!成長を喜んでたはずの私も思わず「ずっと引きこもってて欲しかった」と呟いた程です。
まあ廣瀬さん自身のスケジュール的に今回は見送らざる得なかったのかもしれない。次だと気持ちを切り替えようとしたその瞬間
"白崎護卒業ミッション"
頭が真っ白になりました。私が純白になりたかったわけじゃないんです。なんでそうなってしまったの。
もう東京公演が始まって数日経ちましたから、理由がわかっている人は納得できるかもしれないんですけど、観に行くことができない私には、今もなお「どうして?」という思いでいっぱいです。
私がメサイアを追いかけ始めてからずっと望んでた2人での卒業がまさかこんな事になるなんて思いもしなかったんです。
ここ数日キャストさんからも、観に行かれた方も口を揃えて「悠里淮斗が好きな人にこそ観て欲しい」と言われていますね。
好きだからこそ、受け入れたくない。私は2人での卒業をこんなに望んでいたのに。
物分かりが悪い私にはそういう思いが離れません。
それでも。ずっと願って来た卒業です。
当初思い描いていた卒業という形はどれだけ嘆いてもやってきません。
ありがたい事にGYAO!さんがアンコール配信をして下さるようです。
劇場で見届けられない事に申し訳なさしかありませんが、私はそちらの方で。
白崎護と悠里淮斗が沢山の経験を重ね描いてきたこれまでを経た結果を見届けたいと思います。
これだけ書いてもまだまだ書ききれないほどに感じている思いは沢山あります。
それでも、それが彼らがサクラとなりこれまで生きてきた全てを捨てる事になっても、生きていたかった。生き抜いてきた全てを伝えてくれる、今までで一番の公演になる事を願っています。
纏まりが無く長い、悠里淮斗と白崎護のチャーチ卒業における意味を読んでくださりありがとうございました。
何か1つでも同じ想いである箇所がありましたら幸いです。
そういえば公演前のイベントで"間宮レポート"というものが本公演ではキーワードになってくるらしいとフォロワさんから伺いました。
どうかそれが辛いものではなく、間宮のお料理レシピ集ぐらいのものである事も同時に願っています。